私は暗い夜道を一人歩きしていた。

見慣れた風景のバーガンディ色に染まった不揃いの石畳を敷き詰めた広い道。道の両脇にある土の上には野生の芝草が顔を出し、見上げれば、椰子の木の鮮やかな緑色の葉が一際目立っているはず。ここの椰子の実から取れるココナッツミルクは様々な食べ物に使われ、ヴェーナの人々に広く愛用されていた。

最近はこの大陸の各地を歩き回り、いろいろと調べまわり、今日はすっかり帰りが遅くなってしまった。既に、深夜遅い時刻だったので、月明かりに照らし出された木々の輪郭くらいしか見えなかったけど、それを頼りに家路を歩いていた。

町へ入る橋は夜になると橙色に発光して、行き交う人々の道案内をしていた。
橋を渡り、急な坂道を登りきったところにある海に面した自然の高台のヴェーナに私の家はある。
坂道にある外灯は濃緑色の卵形の葉をつけた華奢な高木を模倣していて、ヴェーナを首都とする大陸の南に位置するヴィア・マレアのあちこちで見かけるが、天辺の葉には淡いピンク色に発光してる球体が付いていて、巨大なチューリップを連想させた。
家路
私の背丈の4倍はある薄茶色の塀に囲まれた門を通り抜けて街へ入ると、錆浅葱や支子色の幾何学模様に茜色のアクセントが付けられた地面をお店の黄や緑、ピンク色に輝く看板が照らしていた。繁華街を通り過ぎ、人工的に作り出された薄緑の落葉を仰ぎ、小阪を上るとそこには王宮がある。
私は王宮の傍にある陸側の家に着いた。

金色で縁取られた扉の上には私の帰りを待って外灯が灯されていた。
扉を開け、家の中に入ると、家の者は皆寝ているのか静まり返っていた。
私は外套を脱ぎ、二階にある自分の部屋に入った。

「ただいま、陸翔」

部屋の中は桜色の壁と同じ本棚とアンティークの机が置いてあるだけで、奥にあるクローゼットルームに外套をしまい、机の上にあるクリスタルの写真立てに私と一緒に写っている男性に話しかけた。

「行って来たよ。貴方が言っていたドラットに・・・」

遠い北国の旅からの帰宅だった。

「お話しすることがあるけど、シャワーを浴びてさっぱりしてくるから待っててね」

私は着替えを持ち、一階の大きな窓のあるバスルームで汚れた身体をシャンプーで洗ってから、腕を組み、足を伸ばして、暗がりに見える思い出の場所の方角を見つめながら浴槽に浸かった。
身体が温まってくると、目を閉じて、昔の出来事を思い出していた。

私はアカデミーの高等部を卒業すると、大学に進学した。専攻は神学。神さまを信仰している訳ではなく、その存在に興味があった。
私が履修した講義に彼も出席していて、偶々、隣に座った彼は講義を聞きながら、何やらブツブツと呟いていた。私は教授の話が聞こえないと、横目で彼に注意の視線を幾度か向けた。でも、一向に呟きを止めない彼の方を振り向きながら抗議の言葉を吐いた。

「あの・・・う・・・」

(えっ?)

振り向き終わった時に、彼の顔は目前にあり、一瞬、私と彼の唇がぶつかった。
私は目が丸くなり、顔を赤らめて、心臓の鼓動が聞こえる音がした。

ドクン、ドクン。

(こ、これって、キスよね?)

咄嗟に向き直り、講義に集中しようと教授のいる方を見る。

ドク、ドク、ドク。

(誰かに見られた?)

私の心臓の鼓動は更に早さを増し、既に頭の中はパニックだった。

ドクドクドク・・・。

(別に・・・キスくらい・・・初めてじゃあるまいし・・・ただの事故じゃない)

「何か用?」

彼は何事も無かったかのように聞き返してきた。

「な、何でもありません」
「あ、そう」

(平手打ちするべきだった?)
(事故なのにそれは変よね)
(荷物を纏めて退出するべきだった?)
(ここに何しに来たのか分からないわ)
(道で肩がぶつかったのと同じだから謝るべきだった?)
(唇を奪われたのに?)

突然のハプニングに私の反応すべきだった行動が頭の中をぐるぐると駆け回った。
結局、ずっと心臓の鼓動は激しく鳴り続け、教授の話は何も耳に入って来なかった。
講義が終わり、私が退室しようとした時に彼が話しかけてきた。

「ねえ、きみ。講義、聴いてなかっただろ?」
(何で、私のことが分かるの?)
「ほら、ずっと、上の空みたいだったじゃない?」
(貴方のせいです!)
「良かったら教えてあげるから、俺に付き合わない?」
(新手のナンパですか?)

私が唖然としていると、彼は私の腕を引っ張ってそそくさと歩き出した。
何処まで行くのかと思ったら、街の外の歌う海辺まで連れて行かれてしまった。そこは様々な人達で賑わうエルスの港に向かう道沿いにある小高い丘で、ヴェーナの街を一望することが出来た。辺りには芝草が生えていて、静かな場所だった。

「俺、ここが好きなんだよね」
(別に貴方の好みなんか聞いてないです!)
「じゃ、講義を始めるよ」

彼の説明は丁寧で、ひとつの事にも多方面からの見解や解釈を取り混ぜているにも関わらず、まるで絵本でも読んでもらっているかのように凄く面白く理解し易かった。
彼は2つ上の同じ専攻の先輩。銀髪のショートカットに細面で端正な顔立ち。目は鮮やかなスカイブルー。一見、華奢に見えるけど、筋肉は十分発達していて力は強い方だった。どちらかと言うと、羨ましがられる彼氏のタイプだ。
私達は一緒に講義を受けるようになり、そのうち付き合い始めた。
後で、2学年上の彼が何で私と同じ講義を受けていたかを聞くとこう答えた。

「うっかり、単位をとるのを忘れたのさ」

頭が良いのに少し間が抜けてる彼に私は好感を持った。
これが私と彼の出逢いだった。



私はバスルームからあがると、着替えを済ませて、キッチンに向かった。
お湯を沸かして、ハーブティを枝や葉の模様の中に鳥がデザインされているティーポットに入れると、それとお揃いのカップと一緒に木製のトレイに載せて、再び、自室に上がった。
机の前に座ると、ハーブティをカップに注ぎ、ティーローズのシャンプーの香りがする髪を撫でながら、写真の中の彼を見つめた。

私達は付き合い始めて一年余り。周囲の人達にも公認の仲だった。
彼との講義の合間に出掛かるデートは初めて連れて行かれた歌う海辺が定番だった。二人でヴェーナの街を眺めながら、芝生の上に座り、お茶を飲んだり、昼食をしたり、いろいろなお話しもした。
私は彼の鼓動を聞くのが好きだった。
彼の胸にそっと耳を当て、彼の鼓動を聞いていると、子供が母親の鼓動を聞くように私も安心した。そして、彼は優しく私の肩を抱いてくれた。

「私ね、記録保持者なんだよ」

何時も私よりも賢くて、何をやっても私より上手に出来る陸翔に彼の優しい腕の中で、子供の頃に行ったことのあるダンベルガワンで参加した大会のことを自慢した。

「何の?」
「かけっこのよ」
「・・・」
「数ヶ所を走って回るスタンプラリーみたいの。タイムトライアルで商品とかも貰ったのよ」
「商品?」
「ガラス玉よ。好タイムだと銅の玉とかも貰えるの。綺麗だったな」
「何だ、そんな物か」
「だって、子供の大会ですもの。でも、たくさん集めるとビキニとか貰えたのよ」
「俺も参加してみようかな?」
「陸翔がビキニを貰ってどうするの?」
「・・・」

ドクン、ドクン。

「あ、今、ヘンな想像したでしょ?」
「・・・」

私は上を向いて彼の目を見つめると、目を閉じてお強請りをした。
彼は私を強く抱きしめて、優しくキスをしてくれた。
私もそれに答えて、彼の腰に手を回して、唇を押し返した。
暫くして、満足すると、また、彼の胸に耳を当てる。
彼の話す言葉と共に私の髪にかかる吐息を感じながら、ドクン、ドクンと音がする。
私のことを忘れないように、彼に魔法の香りのシャンプーを嗅がせながら・・・。



私は殻になったカップをお皿に戻すと、溜め息交じりで呟いた。

「陸翔、今、貴方は何処にいるの?」



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