女は悲鳴を上げた。
暗がりの部屋にそれは居た。窓から照らされる月明かりで、それが激しく運動をしている黒光りしたものであることが分かった。女はそれに触れられた時を思い出して身震いした。ましてや、服の中に入り込んで来たり、身体の中に入って来たらと思うと頭の中が真っ白になった。
彼女はそれを目の当たりにした拍子にペタリと床に腰を落してしまっていた。今もこちらの様子を窺いながら、頻りと動いているものから逃れようと、乱れた浴衣の裾を隠しながら後退りしたが、日頃の綺麗好きが祟ったのか、ワックスが効いた床は焦る彼女の後退を無慈悲に阻止していた。
思い通りに行かない苛立ちと真夏の夜に手元が滑り、何度も横たわってしまった。逃げ惑う彼女の鼓動は高鳴り、掻いた汗は首から胸元をひんやりと伝わっていた。
「嫌!近寄らないで」
前後に激しく動きまわり、細長く、硬い黒いものは彼女の気持ちを嘲笑うかのように彼女の家の中で本能の赴くままに我が物顔で振舞っていた。
-数時間前-
暖気に浮かんだ大きなものが鮮やかなざらざらとした甘い色で染められて、逃げ出してしまわないように地上で作られた半透明の袋に包まれて並んでいた。歩きながらでも食べられる味付けの濃い軽食などは大人を上機嫌にする小麦色の魔法の水を勧めた。
今夜は夏祭だった。
法被姿の老若男女が太鼓をトントントントン、トトントトーンと演舞し、催し物会場では高くなっている舞台上で所狭しと跳ね回る芸人が喜劇をし、皆が腹を抱えて笑っていた。女は方々を見て周り、楽しい時を過ごしていた。
「これやってみない?」
女は一緒に来た友達に言った。
「どれが良いかな?」
広い台の上に置かれたいろいろな景品には細長く白い紐が付けられていて、どれがどう繋がっているのかは布が被さっていて分からないようになっていた。
「よし、これがいいわ」
彼女は可愛らしい柄のよく弾みそうな丸い水ヨーヨーを見て、人数分の代金をお店の人に払った。
「3人分でいいの?」
ひとりが女の方を見て言った。
「え、何でよ。私達、3人じゃない」
「だって、2つ必要なんじゃない?」
友達は彼女の胸を見て、指を指して、方目を瞑る仕草をしながら言った。
「いやね。間に合ってるわよ」
「ほんとに?」
「ポヨン、ポヨーンて弾むのって気持ち良く無い?でも、二刀流なんて出来ないわね。じゃ、いっせーのせっ」
女が紐を引張るとその先には金色の紙が貼られている銅版が付いていた。
「何これ?」
唖然と見ていると、ベルが鳴りながら叫び声がした。
「大当たり!特等」
「え?」
「はら、姉ちゃん。これが品物だ。今話題の最高級品の杖だぞ」
「杖って何?私、まだお婆ちゃんじゃないわよ」
「知らないのかい?この界隈では最強の戦士に成れる強力な武器なんだぞ」
「別に私は戦士じゃないしぃ」
店番のおじさんは腕の長さよりも長い棒を渡すと、手を叩いて、次の客引きを始めた。
「まあまあ、折角当たったんだから、貰っときなよ。痴漢の撃退によくない?」
「そうかな?」
夜も深まる頃、彼女は皆と分かれて、帰宅の途に就いた。
彼女の家は木々に囲まれた郊外にあった。
玄関を開け、自分には不似合いな物を脇に立て掛けて置くと真直ぐに廊下を台所の方へ向かった。

壁にある電灯のスイッチを入れようとした時に物が動く微かな音に気付いた。
彼女の脳裏にはそれに関わった汚らわしい記憶が蘇り、明かりをつけるのを躊躇っていると、月明かりに照らされてそれは姿を現した。
「来ないで!」
黒光りするものは彼女を追いかけてくる様子も無く、台所で頻りに自分の欲望を満たすものを探し回っているようだった。彼女は無我夢中で玄関まで逃げ戻ると、先程、立て掛けて置いた最高級品の杖を手にすると台所まで勇気を振り絞って戻った。彼女は杖を構えると電灯のスイッチを入れた。
「えい!やー!」
杖を振り回し、必死で黒光りするものを撃退しようと試みたが、それは物陰から物陰へと素早い動きで動き回り、彼女の攻撃をかわし続けていた。業を煮やした彼女は一度電灯を消し、立ち去った振りをして、数秒後に再び、電灯をつけた。素早い目配りで黒光りするものを探すと、数メートル離れた床にそれは居た。数回の連打の後に見事に最強の杖は的を床に叩きつけた。
『グシャリ』
硬い甲冑は粉砕され、体液が滲み出ると黒光りする細長いものは動きを止めた。
彼女は数十枚のティッシュを重ねると、それの亡骸の感触を感じないようにそっと床から拾い上げると、ゴミ箱に捨てた。
「嗚呼、気持ち悪い。ゴ〇ブリだわ」
Lycoギルチャ、夏の怖い話より
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